第61回日本定位・機能神経外科学会第61回日本定位・機能神経外科学会

ご挨拶

第61回日本定位・機能神経外科学会
会長 貴島晴彦
(大阪大学大学院医学系研究科脳神経外科 教授)

 この歴史ある、日本定位・機能神経外科学会を令和4年1月28日(金)、29日(土)の両日に大阪国際会議場で開催させていただきますこと、大阪大学医学部脳神経外科を代表しまして、大変光栄に存じますとともに、大きな責任を感じております。

 大阪大学における神経外科の診療は、1922年にヘルテル先生がドイツから第一外科に就任され、その時に三叉神経節ブロックを顔面痛の治療法として持ち込んだことに始まりました。これは次の小澤凱教授にも引き継がれ、その当時この治療を受けるために多くの患者さんが集まり長蛇の列ができていたとのことです。また、1950年代には最近大きな脚光を浴びている集束超音波治療の研究がすでに行われておりました。一方、第二外科の方では1954年に金沢から久留勝先生が就任され、一般外科とともに痛覚伝導路の研究がなされていました。その当時の脊髄の組織の写真が今も教室に残っております。久留先生が国立がんセンターに去られた後、1963年に岡山から赴任された陣内傳之助教授は再び注目されているForel-H-tomyを持ち込まれ、てんかんや不随意運動症などの治療に応用されました。そして、1970年大阪万博の年に二つのグループが統合し脳神経外科が開設されました。これまでにも大阪大学にゆかりのある幾人もの先生が日本定位・機能神経外科学会を開催させていただきました。

 私は2000年ごろから機能外科をサブスペシャリティーとしております。これは、明確な自ら意志での行動ではなく、多分に教室の都合でした。それまでは脳腫瘍のWetなところの研究をしておりました。それから20年が経過しますが、その間に機能神経外科領域ではバクロフェンポンプの出現、脳深部刺激療法の急激な普及、植え込み刺激装置や刺激電極の改良、画像や電気生理技術の貢献による定位手術の精度向上、集束超音波治療の出現など、大きな変革が続き、2-3年でも目を離すと、すでに遅れを取った様に感じる分野であると考えています。また、近年はコンピューター技術やAIの発展により、植え込み機器、脳機能の解析の分野で大きく変貌しており、今後もますます進化していくことが予想されます。

 再び歴史を振り返り、阪大に脳神経外科が開設された前後の研究や臨床の報告を覗き見ますと、そのころはてんかんと不随意運動症の明確な切り分けがなかった様です。私見ですが、大脳皮質に由来するものがてんかんの分野に、基底核、脳幹、小脳?などに由来するものが機能外科の分野に派生していった様にも見えます。しかし、最近は基底核-大脳(小脳)ループなどの提唱もあり、これらを総合的に考えることによりいずれの分野においても新たな展望は開けるのではないかと考えております。

 この様に、機能神経外科の臨床や研究に携わる私共は社会や技術の流れに乗るだけでなく、自ら能動的に流れを創ることで、新しい世界を開くことができると考えました。そこで、今回のテーマは「あすを創る」といたしました。学会員の皆さまの努力や貢献でこの分野一歩でも前に進めることができればと思います。